児童虐待には様々なものがありますが、その中であまり取り沙汰されないものの中に、教育虐待が含まれると思います。教育虐待とは、一般的に「子供の人権を無視して、勉学や習い事などを、社会通念上許される範疇を逸脱して無理強いさせる行為(Wikipediaより)」です。日本を含めアジア全体において、親が子供の教育に力を入れがちなのは文化の影響も大きいでしょう。昔から農耕が行われてきた歴史や、戦後、努力すれば必ず貧しい地位から這い上がれる、そして高い地位を手に入れられる、と一般的に信じられてきた背景が、現代の学歴社会が作られる元になったのではないでしょうか。また、親や年上の人物を敬う儒教の文化も、教育虐待に関しては、裏目に出てしまっている部分かもしれません。
何も、親が教育熱心であることが間違いだと言っている訳ではありません。が、度を過ぎた教育は、もはや教育の本来の意味から外れています。例えば、テストで満点を取れなければ罰する、スポーツで結果を出せなければ殴る、などは与えても意味のない罰だし、むしろ逆効果だと言えます。また、良い学校に入れなければ人生がダメになる、などという脅し自体が、子供に異常な不安を植え付けていることに気付いていない親も多いです。
このような極端な親や指導者は、そもそもどうして生まれるのでしょうか。理由は色々あると思いますが、ここでは、よくある幾つかのパターンをあげておきます。
- 親自身が非常に貧しかった、もしくは成功できなかったため、自分の不甲斐なさや運の無さに対する怒りを子供にぶつけている(そして子供を自分の身代わりで成功させようとしている)。
- 親自身がある意味成功者であり、それしか道はないと思っている。(その中で、実は常に失敗するかもしれないという恐怖の中で生きてきた場合もあるが、それでも子供も自分と同じ道を歩ませようとしている)。
- ただ単に自分の人生が面白くなくて、弱いものいじめをしている。
- 親自身が虐待を受けて育ってきて、そのやり方しか知らない。そして、疑問さえ抱いていない。
- 子供、もしくは親自身に何らかの精神疾患、もしくは発達障害があるが、色々な理由で見落とされている。
ここで、少し考えてみましょう。そもそも成功とは何でしょうか?良い大学に行くこと?皆が知っている名前の会社に就職すること?それとも、お金をできるだけたくさん稼ぐことでしょうか?それはきっと、そうなんでしょう。ただ、私は長年ヘルスケアやメンタルヘルスケアのフィールドで働いてきましたが、上記のような経歴を持っていても不幸な人を、本当にたくさん見てきました。むしろ、お金を稼ぐことだけに集中し過ぎて不幸になったのでは、と思われるケースも非常に多い気がします。つまり、人生は必ずしも成功=幸せ、ではないのが現実なのです。しかし今でも、自分のキャリアやお金のために人間関係を犠牲にしてきた人の多いことに、よく驚かされます。
教育虐待に話を戻しますが、子供に教育を押し付ける親、または指導者に共通していることは、人間が幸せになるポイントをはき違えているという点です。恐らく、このような人物自身が日々、心から幸せだと感じられていないのでしょう。もしくは、お金や名声を手に入れたから自分は幸せだ、という妄想の中で生きているか。人間が幸せになる基本的なポイントは何かというと、まず、(できる範囲で)やりたいことをやる、やってもいいんだ、という自由の認識を持っていること、そしてそれを一緒にやる仲間やパートナーを見つけられること、この二つだと思います(この定義は、基本的に衣食住が確保できていることを前提としていますが)。
ではどうすれば、そこ(幸せ)にたどり着けるのでしょう。まず第一に、成功というのは周りから押し付けられるものではないし、そもそも本人に成功したい、というモチベーションがないと始まりません。押し付ける教育をしてしまうことによって、子供はやりたいことがわからなくなります。例えば、親が子供に良かれと思ってピアノやスポーツや外国語を教えても、その子自身に音楽やスポーツや外国に対する興味がなければ、「将来役に立つ」ことはないですし、子供にとって習い事をすることや第二外国語を学ぶことが負担になって、ストレスを抱えた学生生活を送ることになったりします。また、親が子供に「将来は医者や弁護士になりなさい」、というのも笑ってしまうほどバカげた話です。そういった職業は、やりがいはあってもものすごくストレスの高く、責任重大な職業です。そもそも本人にモチベーションがないと絶対に続きませんし、仮にやっていけたとしても、興味もないのにやらなければならない仕事が常に目の前にあって、大きなストレスを抱えっぱなし、という結果になるでしょう。先に、医者や弁護士という職業を例に出しましたが、実は、これはどの職業に関しても当てはまることだと思います。
親の役目は、子供時代にその子の特性を探り、どんなことが好きか、得意か、などを見分ける手伝いをすることではないかと思います。それが見つかれば、次は、その分野で特性を伸ばしてあげる努力をする。失敗してはいけない、ではなく、失敗してもまたやり直せばいい、というメッセージを繰り返し与えながら。親が先走りして「夢」を先に見つけて子供に押し付けても、理想からほど遠い未来に行きつくばかりか、人生で基本的なこともできなくなって終わる、例えば、その子が引きこもりになってしまったりすることも多いのが現実です。ですので、ここは、絶対に、絶対にはき違えてはいけないポイントです。なぜなら、そこでつまずくと、第二のポイントである、良い人間関係の築き方も教え損なうことになるからです。
良い人間関係を築けるようになるかどうかは、人の人生を大きく左右します。どうやって良い友達やパートナーを選ぶか。このポイントは、もっと語られてもいいような気がします。なぜなら、酷いパートナーを選んだことによって、人生がめちゃくちゃになった人も、これまた非常に多く見てきましたので。教育虐待は、暴力が含まれない場合も多いので見落とされがちですが、人が人の人生を操ることができる、という概念(過干渉、その結果としての共依存が生まれがち)や、競争社会に生き残らねばならない、という思想(共存や協調性とは正反対)が元になっているので、人間関係に関して、親から子に非常にマイナスなメッセージが送られます。ですので、自分が教育虐待を受けて育った方は、そもそも人生とは何なのか、自分は、そして人類はどのように生きていければ一番良いのか、など根本的な部分を考え直してみる必要があるでしょう。その結果、自分も、そして周りも大切にできる生き方を選んでいければ、前よりも充実した人生を送る一歩を踏み出せると思います。自分が、少なからず教育虐待的な子育て、もしくは指導をしている、と気付かれた方は、今からでも遅くはありません。少しずつ、今までの教育方針を変えていく努力をしていければいいでしょう。