二種類の人間

最近、ふと思いついたことがある。世の中の人間を大きく二種類に分けるとすると、「周りの評価に振り回されている人間」と「周りの評価を上手く利用している人間」と言えるのではないか、ということである。

面白いのは、最初は周りのことなんか気にもかけていなかった人が、段々と周りのことばかり気にするようになることもある、というところである。例えば、芸術やスポーツなどの才能があり、若くして有名になった人物なんかがそうだ。名が知れる前は、自分のことを誰も知らないし、人気も特にない。むしろ、自分なんかに何の取柄もない、などと思っていたという場合も多い。そんな精神状態から急に引き上げられ、一気に世界中の人々から注目されるようになる。そうすると、否が応でも周りの中の自分という存在を意識するようになる。でも、自分の中に確固たる自信がまだないから、自分が有名になったのは運だ、と思い込んだりするようになる。ただ、世間はそうは思ってくれない。その人の才能を、その人自身より先に信じ込んでしまっているからだ。そしてむしろ、次を期待するようになる。当の本人はただびっくりしていて、例え結果が出たことが自身のたゆまない努力の成果であっても、未だそのことが信じられない。そして、これから先のことを考える余裕もまだない。この認識のギャップがいつも不運を生む。

なぜなら、本人の自分に対するイメージがまだ世間の見る自身のイメージと一致していなくて「苦しい」などと言ったりすると、「何で?どうして?あなたにはこんなに才能があるのに」とか、「こんなに恵まれていて、結果を出していてお金もあるのに、贅沢な」などと言われる。もちろん、世間はその人自身の苦しみや微妙な認識、感覚のずれなんてわからないから、こういった状況の渦中にいる人はいち早くそれを悟って、自分の感覚と「周り」の感覚を切り離す必要があるだろう -たとえ、そこに家族とか、自分にとって近い人物が含まれていたとしても。もちろん誰でも人気が出るのは嬉しいかもしれないが、最終的になぜそのことをやっているのか-実はそれは自分のためである-ということに気付かなければ、周りの評価に振り回されっぱなしになって、苦しさは一生続いてしまう。例えば「好きだから」とか、「これをやっていて楽しいから」とか、そもそもは、そういった理由で始めたのではなかったか。そのような感覚に気付けなかったり、「楽しい」という感覚が昔はあったのに戻らなくなってしまった場合は、残念ながら、若くして有名になってもメンタルヘルスの問題を抱えることが多い。精神的に自分が出来上がる前に世間に名が知れてしまうことは、一見とても幸運なことのように見えるが、ある意味不運なことでもあるのか、と思ってしまう。

有名人でなくても、こういった現象は起こる。例えばSNSによく自分の生活の情報を載せている人なんかが、こういった感覚のずれ現象に陥ってしまうことがある。SNSに何かを載せると、例えそれが友人同士の間だけのアカウントだとしても、多くの人が自分の「作品」を見ることになる。そうすると、たとえ相手が興味があってもなくても、何となく多くの人が自分を見てくれているという感覚にはまりやすい。つまり、自分のポストに多くの「いいね」マークがついていても、それをつけた人が本当に心からそのポストの内容を良い、と思っているかは別であるが、それを見た時には「プチ有名人感」を味わえるから、そこに中毒的要素があると見られる。

でも、よく考えてみてほしい。先ほどの例と同じで、自分の人生は結局自分のためにあるのであり、周りは自分の次にしか存在し得ない。SNSのアカウントであっても、その最終的な目的は恐らく記録のようなものであり、自分が忘れないようにするための日記だと思えばいいかもしれない。もしくは、単純に情報交換や宣伝の場、と捉えるか。私は、多くの人がSNSを上手く利用して欲しいと思っている。振り回されたり、影響され過ぎたりするんでなくて。

最後に、周りの評価を上手く利用している人、というのはどういう人かについて考えてみたいと思う。こういった人はまず、自分というものがしっかりわかっている。それは自信があるかどうかというよりも、周りの評価と自分の感覚をしっかり切り離せているかどうか、にかかってくるのではないかと思う。もちろん、詰まるところビジネスの世界や一般世間は競争社会だから、人気はあった方がいいし、人に好かれるに越したことはない。極端な例で、周りの評価を全く気にしなくなってしまうと、行きつくところはソシオパスや最高に自分勝手な人物、となってしまう。そこには行かない方がいいけれど、不思議なのは、周りの評価をそれほど気にしない人ほど、長い目で見れば人気が出て、その人気が続くことが多い気がすることだ。その違いはやはり、周りの評価のためではなく、自分のために、好きなことや得意なことを淡々とやり続けられているかそうでないか、だと思われる。

これが簡単なように見えて意外と難しいのは、そこまで辿り着くのにやはり時間がかかるからではないだろうか。人間、若い時は色々なことを経験する機会がまだ少ないし、自分がどういう人間なのかを完全に把握することは物理的に無理だ。「大きくなったら何になりたいの?」と先急いで子供に質問を繰り返す大人も多いが、まずは時間をかけて、その子がどのようなことに向いていて、どのようなことが苦手なのかを少しずつ見極めていくと、その時わかった情報が後々役に立つことは多いと思う。つまりまとめとして、周りとは喧嘩にならないで、平和的にやっていく術を身につけつつ、影響され過ぎず利用する方法も頭に入れておき、その間自分というものを大切にしながら育んでいく。そのような子育て、生き方ができる人はラッキーだと思うが、もし可能であれば、かなりお勧めである。