この仕事をしていて、最近よく行きあたる問題があります。それは特に女性に多いのですが、人間が当たり前に感じるべき感覚が感じられない、という現象です。一時的に五感まで失ってしまう方も中にはいらっしゃいますが、そこまでは行かずとも、本能に近い感覚を失っている人は意外と多いので、そういった方の例をいくつか挙げていきます。
例えば、お腹が空いた、という感覚。ひどい虐待またはネグレクトを受け、食べたい時に食べたいものを食べられずに育った子供たちが、大人になってもその感覚がわからない、ということは多々あります。それは恐らく、空腹を感じていない訳ではないけれど、一瞬にしてその感覚を押し殺す癖ができてしまっていて、いつの間にか一日中何も食べていなかった、というような状態になることです。もちろん、そんなことをやっていれば体が持ちませんから、疲労により段々不機嫌になったり、仕事に集中できなくなっていったりして、最終的に「そういえば朝から何も食べていなかった」、と気付いてはっとしたりするのです。こういった精神状態が育つのは、幼い頃に家が貧しく食べる物が無かった、という場合だけに限りません。意外と多いケースは、親が子供を異常なほど細かい管理下に置いていて、一日のうちに何をどれだけ食べるかなどを細かく決めており、常に子供をそういったルールに従わせていた場合です。それは、子供を健康的にしたいというよりは、世間に「良く」見せたい、体重を管理したい、などという目的から始まっていることが多いので、子供自身が摂食障害になってしまうケースも多々あります。ただ、摂食障害としては表に現れないもののかなり酷い食生活をしている。それでいてその異常さに気付いていない。そういった人は結構多いのです。
また、疲れた、という感覚をなかなか感じられず、延々と仕事をし続けてしまう、などという状態も上記の例と似ています。これは、幼い頃から常に気を張っていなければならず、なかなか安心して夜も眠ることが出来なかった人などに多いです。こういった人たちは、恐らく昔から緊張しているのが当たり前なので、疲れのピークに達し、限界を超えて倒れるくらいまで疲れてしまわない限り、自分の中の疲労に気付けないのでしょう。言い方を変えれば、そこまで自分の疲れに関して鈍感になっているのです。
最後の例は、腹が立つ、という感覚です。誰に何を言われても、例えそれが自分の尊厳を傷つけられるようなことでも、何も感じない、という状態です。もちろん、生まれつき優しい性質で、虐待を行った親などに対してもあまり憤りを感じないタイプの人もいます。ただ、それはそれとしても、怒りは人間が自然に持っている感情であり、それを全く感じないのは不自然です。そもそも怒りとは、何者かに攻撃された時に、自分を保護する役割を担っています。怒りに任せて相手を打ち負かす、というよりも、怒りを利用して自分や家族を守る、これが、本来の怒りの目的であると私は理解しています。つまり、怒りを感じられないということは、外敵から身を守る術を学ばないで大人になってしまった、という見方ができると思います。幼い頃から親の怒りや攻撃を受けるしかない環境で育ってしまうと、先ほど述べたように、自分自身の怒りを出す術を知る機会がないことが多いです。そうすると、自分の中に怒りが湧いてきても抑え込む癖ができてしまったり、親や他人は怒りを出しているけれども、怒りはネガティブなものだから自分は出さない方がいい、という間違った思い込みを持ってしまったりします。こんなまま世間に出て行くと、何が起こるかは半ば明白ですね。当然、更なる虐待やハラスメントに自ら飛び込んでいくことになります。そのような精神状態で日々動いているのは、周りに「どうぞ自分を傷つけて下さい」、と言っているようなものですから、とても危険です。
それでは、こういった方々は、どうすればいいのでしょう。五感や本能の一部を失くしてしまったことに気付いて、どうにかしたいと思っている人は、いくつかのポイントを意識しないといけません。まず第一前提として、今現在、安全な場所にいることです。上記に述べたように、虐待やネグレクトを受けて育った場合、なぜか無意識に、虐待的な人物に自ら近づいていってしまうことも多いので、例えば自分の今のパートナーが、自分にとって危険人物かもしれません。もしくは、親や家族の誰かが今だに虐待的な態度をとり続けているかもしれません。そういった、自分にとって「百害あって一利なし」というような人々から一定の距離を取ることが、最低限必要になってきます。
自分にとって安全な状況を確保し、ある程度は心の平穏を得られたとします。そうしたら、次に必要なのは、何度も練習することです。何を練習するかというと、人間にとって当たり前の感覚を思い出す練習です。例えばご飯をついつい抜いてしまう人は、お腹が空いていなくても、まずは三食食べる癖をつける。最初は抵抗があっても、それは本来体が欲していることで、自然なことなので、次第に体が慣れていくはずです。嫌なことや無理なことを言われても、心がフリーズしてしまって「No」が言えない人は、まずは嫌だな、と思っている気持ちを携帯やメモ用紙などに書きだしてみる。少しでもいいので、そういった小さな努力を続けていると、少しずつ素直に自分の気持ちを出せるようになってきて、最後にはきちんと思ったことが言えるようになれる日もやってきます。まずは、それぞれが、赤ちゃんのレベルからスタートするくらいの調子で、一歩いっぽそういった感覚を思い出して練習するのです。そうすると、ゆっくりでもそのような感覚を学び直すことはできます。
もちろん、これは長期戦になります。根気がいる作業になるでしょう。最初はなかなか上手くいかず、イライラしたり、「やっぱり無理じゃないか」と思い込み、諦めて元に戻ってしまうこともあると思います。でも、人間として生きている幸せを感じたければ、こういった感覚を取り戻すことは必須なのです。何度でもめげずに、挑戦していって欲しいと思います。一人ではなかなか難しいので、自助会のようなグループに入り、助け合うこともお勧めです。もちろん、信頼できる友達やパートナー、セラピストを含む医療関係者の助けを借りたり、その全てを使ってみてもいいかもしれません。
今回は、五感や本能を取り戻す、というトピックで書かせて頂いたのですが、これを書いたのには理由があります。昨今、心理的なゴールや人生の目標として、「やりたいことを見つける」大切さ、というようなフレーズなどをよく耳にします。それが正しくない訳ではないのですが、それ以前に、人間としてごく当たり前の感覚を失っていて、そんなことは可能なのか?とふと思ったのです。もしかすると、まず大前提として、本能に近い感覚を自分に取り戻すことの方を心がけてみることが先かもしれません。